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高島市散歩

万葉歌によく詠われた地

淡海の地は万葉歌によく歌われており、歌人の心を揺さぶる何かがあると言うことでしょう!この地に足をふみれ歌心を揺すぶっては如何ですか…

ギャラリー

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大溝城跡を訪ねる

現在は石垣と周囲のお堀が残っています。お城の資材は水口岡山城に運ばれたそうです。信長の弟信勝(信行)の子、信澄が築城したというが、信長と信勝との因縁や信澄と明智光秀との関係など非常に難しい立場に信澄はいたのでしょう。

地域一帯【日本遺産認定】

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こんな処に石仏がおられたとは!

白鬚神社から161号線を少し北に走り、山手方向に細い道を入った先に共同墓地があり、その前に墓を守るように鎮座しています。

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湖中に浮かぶ白鬚神社の鳥居

◆この日も良い天気で、湖中の朱色の鳥居は威厳よく見えますが、写真には背景が明るいこともあり、暗く写りました。こんな場合の写真撮影技術を少し勉強する必要がありそうです。

【日本遺産認定】

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万葉歌

紫式部の歌碑がありました。
この碑には源氏物語の作者“紫式部”がこの地を通ったときに詠んだ歌と書かれています。
近江の海にて 三尾が先 所に網ひくを見て
『三尾の海に 綱引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも』

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白鬚神社
[鵜川215]
【国・重要文化財】
本殿
【国登録有形文化財】
社務所

【日本遺産認定】
垂仁天皇の時代に創建されたという近江最古の社で、本殿から国道161号線をはさみ朱塗りの鳥居が湖中に建っており、見る人は雄大なびわ湖に吸い込まれそうな気持になってしまいます。「白鬚さん」「明神さん」の名で広く親しまれており、社名の通り延命長寿・長生きの神様として知られています。毎年9月5/6日の「例大祭(白鬚まつり)」には京阪神から多くの参拝者で賑わいます。境内には与謝野鉄幹・晶子夫妻が神社を訪れた際詠まれた歌と紫式部が歌った歌碑がある。
今の本殿は豊臣秀吉の遺命を受け秀頼公の寄進により慶長8年(1603)に片桐且元を奉行として建立されたと言う。
御祭神は猿田彦命(猿田彦大神)です。


水尾神社(みおじんじゃ)
[拝戸716]
■水尾庭園と石造
水尾神社(みおじんじゃ)は統治者・政治家・経営者など長たるべき人の神、安産、子授け、厄除けの神として崇敬されています。創建は天平伸護元年(765)と伝えられている。当時の社域は広大で、音羽の大炊神社(炊殿跡)、安曇川の今宮/大田神社は共に御旅所跡と言われる。古来より歌枕としての背後の三尾山には拝戸古墳群があり、三尾君の祖の墳墓と伝わる皇子塚があります。御祭神は磐衡別命(いわつくわけのみこと、垂仁天皇の第十皇子)、比盗_(ひめがみ、継体天皇の母・振姫)
■神社横に庭園があり、庭園の磐座や石造は長い風雨にさらされてはいるものの当時の人々の信仰心を今に伝えます。
大炊(おおたき)神社
[音羽65]
水尾神社の大炊殿の跡と伝わる。祭神は事代主神です。


鵜川四十八体石仏群
[鵜川]

■師弟句碑
白鬚神社を少し北へ、旧西近江路を進むと、山中の墓地前に花崗岩の阿弥陀如来像群が突然目に入ってきます。高さ1.6m程度のこれら石仏は東の方向を向き多彩な表情・姿で鎮座されています。最近発見された地元の古文書(小松之庄与音羽新庄与境論目録=伊藤家文書)には1436年の記録部分に「四拾八躰」の文字が見られることから従来の室町後期観音城主の佐々木六角義賢の母の菩提を弔う為1553年に建立という説は見直す必要があり、現在は闇の中です。尚、この場所には33躰安置されており、13躰は江戸期に大津の慈眼堂へ、残り2躰は行方不明です。
■高野素十(茨城県出身)・上原はる(高島市勝野)各氏の句碑が建っていました。
(素十)一本の大夏木とはここらしき
(はる)世に小さき句会重ねて虫を聞く
日吉神社
[勝野2166]
■大溝まつり
↑写真見て
社伝によると嘉祥2年(849)長宝寺の鎮守として、坂本日吉大社より山王権現を勧進したという。長宝寺廃絶後は石垣村の産土神として崇敬されてきました。祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。
■5月3/4日に例大祭が行われ、湖西唯一の曳山巡行(5基)が行われます。神輿1基と宝組・龍組・湊組・勇組・巴組が町内を巡行します。(動画もありますのでご覧ください。)
起源は元和5年(1619)分部光信が移封され、その約100年後に城下町の祭礼行事としてはじめられたと言います。


円光寺(瑞雪院)
[勝野2066]
■近藤重蔵の墓
臨済宗東福寺派の寺院です。延文3年(1358)に創建され、照室寂禅師が伊勢山中に開かれたのが始まりです。天文24年(1555)に領主分部家の菩提寺となる。元和5年(1619)に分部光信が大溝城2万石に移封されると円光寺も随行した(伊勢上野にも円光寺は残る)。
■尚、塔頭(たっちゅう)である瑞雪院に下段に記す「重蔵」さんのお墓があります。

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万葉歌碑
比良山系と琵琶湖に囲まれた高島町は、多くの歌人の心をとらえてきました。現在高島区域にも、これら多くの歌人が詠んだ歌が歌碑となって随所に残されています。
【万葉歌碑】
[しらひげ浜付近]碁師::「思ひつつ 来れど来かねて 水尾が崎(三尾の崎) 真長の浦を またかへり見つ」
(心にかけながらやって来たが、行き過ぎかねて、水尾が崎から真長の浦をまた振り返ってみたことである。)
[乙女ヶ池]詠人不詳::「大船の 香取の海に 碇おろし いかなる人か 物思はざらむ」
(香取の海に碇を下ろして、いかなる人が物思いをしないであろうか。どんな人でも恋の心は悩むものを。)
[大溝漁港]詠人不詳::「大御船(おほみふね) 泊ててさもらう 高島の 三尾の勝野の 渚し思ほゆ」
(天皇の御船が泊って、風待ちしている高島の、三尾の渚が思い出される。)
[しろふじ保育園横]詠人不詳::「旅なれば 夜中を指して 照る月の 高島山に 隠らく惜しも」
(私は今旅にいるので、夜中の方をさして照っている月が高島の山に隠れるのが惜しいことだ。)
[音羽古墳公園]詠人不詳::「何処にか 舟乗りしけむ 高島の 香取の浦ゆ 漕ぎ出来る船」
(どこで舟に乗ったのであろうか。高島の香取の浦から漕いでくる舟は。)
[関電高島変電所]高市連黒人::「いづくにか われは宿らむ 高島の 勝野の原に この日暮れなば」
(何処で私は宿ろうか。高島の勝野の原が暮れてしまったら。)

【与謝野鉄幹・晶子の歌碑】[白鬚神社境内]
・しらひげの 神の御前にわくいつみ これをむすへは人の清まる
【紫式部の歌碑】[白鬚神社境内]
・「三尾の海に 綱引く民のてまもなく 立居につけて 都恋しも」(三尾が崎の浜辺で漁をしている人の手を休めるひまもなく、立ったりすわったりして網を引くその姿を見て、都を恋しく思った。)
鴨稲荷山古墳
[鴨]
JR近江高島駅から北へ約3kmの鴨川右岸にある鴨稲荷山古墳は、古墳時代後期の古代豪族の墓と言われており、現在は前方部の墳丘はないが周辺の地形などから、全長45m・後円部の直径25m・高さ5mほどの湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳です。明治35年に発見され、巨大な石棺や新羅の影響を受けた純金製の耳飾りなど副飾品が出土したことから、大陸との交流が盛んだったことを裏付けます。
大溝(おおみぞ)城跡
(勝野)




■乙女ヶ池


【日本遺産認定】
JR近江高島駅から東南へ約150mの所に石垣に囲まれた小高い丘が大溝城の本丸跡と言われているものです。大溝城は、新荘城(現新旭町)にいた織田信澄(津田信澄:信長の弟信行の子)が、天正7年に明智光秀の縄張りによって築城したもので、琵琶湖から細い水路で通じた小さな内湖(乙女ヶ池)と川と堀を要害とした水城で「鴻溝城」とも呼ばれていました。信澄は光秀の娘を正室にしていたため、本能寺変後は明智方と見られ、織田信孝(信長の三男)が丹羽長秀と謀り、大坂城二の丸(野田城との説あり)に攻め込み信澄を自害させた。以後、大溝城には丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親、京極高次(妻は浅井三娘の二女お初)が城主となる。江戸時代に分部光信が城主になるとこの地を陣屋として明治維新までその支配が続きました。
■ここは内湖で、天平宝字8年(764)の「恵美押勝の乱」の戦場となり、敗れた押勝(藤原仲麻呂)とその一族郎党が捕えられ処刑された『勝野の鬼江』とされています。又、背後の山中には「壬申の乱(672)」の際、近江朝(大友皇子軍)の基地であった三尾城の存在が考えられる、古代の大きな戦の場でした。昔は洞海と呼んでいたが昭和初期、淡水真珠の養殖場として利用されたころから乙女ヶ池と呼ぶようになったという。
八ツ淵(やつぶち)の滝
(鹿ケ瀬)
比良山系武奈ヶ岳(1214.4m)の中腹にある滝で、その名の通り8つの淵が連なり、『日本の滝百選』にも選ばれている名瀑。それぞれ違った表情を持つ滝と、それを取り囲むようにして山ツツジやシャクナゲ、イワカガミなどの樹木が生い茂っています。ガリバー青少年旅行村から500mの所に滝の登り口があり、ここから大摺鉢までの約1kmのハイキングコースには、野鳥や植物の観測ができるフィールドが広がってい ます。
《2014年8月の台風11号の影響で登山道の一部崩落、通行止めがとられています。現状況は高島市観光振興課に事前確認下さい》
荻の浜水泳キャンプ場
[勝野荻の浜水泳場]
水が澄んでいて、松原の景色が美しいビーチは『日本の渚百選』にも選ばれており、夏は水遊びや日光浴が中心。また、一年中利用できるキャンプ場は、京阪神から多くの人々が訪れ、7棟あるバンガローは日帰り休憩利用もできます。
白ひげ浜水泳キャンプ場
[鵜川]
白砂青松で名高い白鬚浜は、キャンプ場としても適しています。夏は水泳、ヨット、ウインドサーフィンをする人で賑わいます。売店、食堂、温水シャワー、更衣室などの施設が整い、快適に過ごせます。
ガリバー青少年旅行村
[鹿ヶ瀬987-1]
JR近江高島駅から鴨川沿いに登ること約13kmのところにあるガリバー青少年旅行村は、比良山系の武奈ヶ岳北部に広がるアウトドアプレイゾーンです。5つの国のゾーンに分かれていてみんなで楽しく遊べるおとぎの村です。
高島歴史民俗資料館
[鴨2239]
鴨稲荷山古墳出土の石棺(家形石棺:模型)、金銅製冠に履、双龍環頭太刀ほか豪華な埋葬品や話題になった貞観15年(873)と記された農業日誌のような木簡など出土品が展示されています。
旧大溝城下町
[勝野]
江戸時代(1619)に移封した2万石の分部光信が城下町の建設に尽力しました。現在も城の西北に残る陣屋惣門、武家屋敷の一部、当時の水路などが残っています。

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近藤重蔵
1771-1829の人で江戸町与力の父近藤守知の二男として江戸駒込町に生まれました。寛政10年(1798)に27歳の若さで松前蝦夷地御用取扱を命じられて北方領土探検・漁場開発などに務めた探検家として有名です。1799年、初めて択捉島に[大日本恵土呂府]の標識を建ててこの島の領土化と先住民の同化政策を行いました。10年間に前後5回にわたって千島の地を探検し北方の防衛に努力された人です。文政10年(1827)に長男富蔵が犯した罪(殺傷事件)で大溝藩にお預けとなりこの地で亡くなったと言う因縁があります。
尚、大溝藩での幽閉中は不自由苦難の生活だったと思われますが、勉学に励み、近江の植物についての『江州本草』30巻(行方不明)を著している。

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