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米原市散歩

米原市散歩:伊吹山を拝むこの地に住んだ息長氏とはどんな氏族?

ここも、古代では息長氏の大きな影響下の土地でした。中世では中山道を通る人達で賑わい、又、戦国の世では生死の無常を感じる土地だった。

ギャラリー

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雪の伊吹山 三島池から

霊峰伊吹を遠くから眺めると威厳さがわかります。多くの渡り鳥が三島池でひと時の安らぎを得ているようです。もうじき、過酷な渡りの季節がやってきます。

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バサラ大名道誉の桜(冬)

この時期に花は咲いていません。冬の清滝寺も趣深く興味が尽きませんでした。

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寝物語の舞台

美濃と淡海の国堺で隣り合う宿を隔てて漏れてくる声に聞き覚えがあると判り再開するとは・・
そんな偶然が起こった場所なんです。

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息長陵

宮内庁管理の場所、さほど大きなところではありませんが、この国に大きな影響を与えたであろう息長氏はどうなったのでしょうか?

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中山道 柏原宿
■柏原宿歴史館
[柏原2101]

■柏原一里塚
柏原宿は中山道67宿の一つで江戸から60番目の宿場です。宿の長さは約13町(約1.4km)と西美濃や近江の宿場の中で一番長く又一番高い所(約180m)にある宿場だそうですよ!家数は344軒、旅篭屋22軒、最盛期には名物のもぐさ屋が10軒も軒を並べていたといいます。

■一里塚は旅人の道のりの目安、籠や馬の乗り賃銭の目安と旅人の休息場所として造られたのです。1604年、徳川家康の命を受けて、秀忠が東海道、中山道及び北陸道での一里塚築造に着手したそうです。県内の中山道にも一里塚の跡が残っていますよ!
三島池
[池下]



後方に見える霊峰伊吹山が見事な姿を映してくれます。 伊吹山から琵琶湖に注ぐ姉川、その伏流水を水源とする三島池がある!ここはマガモの自然繁殖地の南限です。冬には多くのマガモの姿が見られ、色々な渡り鳥も混じって・・凄く賑やかです。でもこの池には悲しい伝説が残っています!
『ある年、晴天続きで田畑の用水地が干しあがった.領主の佐々木秀義が占いをさせると"人柱を立てれば良い”とお告げがあった。早速領地一円にお触れを出すが、当然進んで人柱になる人間などいない・・誰が人柱になるか噂で持ちっきりの有様となった。ある日、秀義の比夜叉御前と言う乳母が、機織をしている窓の外で村人が人柱の話しをしているのを聞いた。乳母は機を持ったまま、すっと立ち上がり池のほとりまで行き、中央に少し残っていた池の水中に身を沈めた。その夜から機を織るような不可思議な音が池から聞こえたが、朝になると池には満々とあふれんばかりの水を湛えていた。その後は、年中耐えること無く水が湧き出し、毎年豊作が続いた。今も、小雨降る夜に池のほとりを歩くと、池の底からわずかに機械の音が聞こえるとか!池の西にある”佐々木家の氏神である三島神社から少し離れたところに比夜叉御前の供養塔があり「名にも似ず 心やさしき たをやめの 誓も深く みつる池水」と言う歌碑もある!
清滝寺(徳源院)
[清滝288]

【国史跡】
清滝寺京極家墓所
■清滝大松明祭
清滝寺徳源院は京極氏信(1259没)により創始され、以降は菩提寺として栄えたが、一時京極家の転出で衰退した。寛文12年(1672)、高豊が寺を再興して徳源院と改称した。17世紀中期頃のものと言われる三重の塔は丸亀城主京極高豊が建立したものです。墓所全体が国指定史跡となっています。

■毎年8月に行われ、京極家代々の菩提を弔う火祭りが起源と言う。径約1m、長さ約10mの大松明です。

成菩提院(じょうぼだい
いん)(円乗寺)
[柏原1692]




■山門の竜
天台宗の寺院で、弘仁6年(815)に最澄が柏原小野に一時とどまり、小さな祠を建てたのが始まりと言う。鎌倉時代には佐々木京極氏の保護によって栄えた。その後兵火で焼失し、再興を経ており、天正19年(1591)、秀吉が(信長が寄進した)寺領150石安堵の朱印を送っている。又、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、当時の住職は家康の陣に牡丹餅を献上してお祝いしており、家康から残米200石と古材を寄進したので、諸堂を修復したという。佐々木氏、信長、秀吉、家康と武将の関わりが深いお寺です。
尚、このお寺には「石田三成」が各所領に出した年貢に関わる事項などの掟書が残っているという。又、当時の住職祐円と家康のブレーン天海(祐円の弟弟子)、そして小早川秀秋との関係があって、三成への裏切りの舞台が整っていたという。
■山門の竜は出来が良かったため、本物の龍となって村里に大洪水を起こしたとの逸話があります。左甚五郎の作と伝わります。
八幡神社
[朝日]
◆朝日豊年太鼓踊
【国無形民俗文化財】
【日本遺産認定】


天文三年の創祀で、当時は石清水八幡宮領であり、社領鎮守として創祀されたと言います。
祭神:應神天皇/配祀神:吉備津彦命 蛭子命です。
◆伊吹山の麓、朝日に伝わる雨乞いの踊りで、約1300年の歴史がある。
芸能は、滋賀県坂田郡山東町大字朝日に伝えられているもので、旱魃(かんばつ)時に踊ることを本旨としている。雨乞祈願と降雨による感謝のための踊で、朝日の岡神社、八幡神社の境内で踊られる。羽織・袴の音頭笛方、褄折笠・襦袢・縞の軽棧(かるさん)を着し、背に金銀の御幣を負った太鼓(胸に)と鉦の踊り子、長襦袢に襷がけの子供の瓢振(ふくべ)りがおり、音頭、笛、踊り子の太鼓・鉦による歌と囃子で、雨乞歌や御礼踊歌につれて踊り子が美しく踊る。
雨乞いの踊りは、「行囃(おこない)子」で踊庭に入り、「道行囃子」で輪を作り、「場ならし曲」で打切り、「道行」の歌になり、「多良福」「烏飛」の曲があって、神社の周囲を「雨乞歌」を歌いながら巡る。
御礼踊は雨乞踊りの後、綾の踊が行われる。この踊りになると瓢振りが「穂かわせ」の曲を歌いながら踊りまわる。これが済むと「綾の本歌」「綾の居囃子」が畳二枚の上で行われる。次に「新車の囃子」となって「立拍子」「信楽の囃子」で終わる。《国指定文化財データベースより抜粋》

観音寺(大原観音寺)
[朝日1342]
【国・重要文化財】
木造伝教大師坐像・本堂
・鐘楼・惣門
伊富貴山観音護国寺といい、弥高・太平寺・長尾寺と共に伊吹山四大護国寺の一つとして伊吹山中にあったそうです。鎌倉時代の正元年間(1259-1260)にこの地に移り、千手観音像(町指定)を本尊とする天台宗の寺院として栄えてきました。このお寺は三成公にとっては出世の地で、豊臣秀吉が鷹狩りにきて立ち寄った際、寺の小僧として修行していた三成を「三碗の才」(お茶が飲みやすいように三回に分けてだしました。ぬるいたっぷりの茶、少し温めたお茶、少々の熱いお茶)で非凡さを見出したことで知られています。
県指定文化財:観音寺文書
柏原御茶屋御殿
江戸上洛下向(京都〜江戸間の通行)の際の宿泊・休憩の為に街道の各所に設けられた館で、近江では他に野洲の永原御殿、水口の水口御殿があり『近江の三御殿』といわれます。
徳川家康が天正16年に上洛(1588)する時は西村家で休息。以降恒例となるが、通行が頻繁になったため元和9年(1623)に2代将軍秀忠が御殿を新築した。以降は徳川家の勢力強大に伴い上洛が減少し、元禄2年(1689)についに廃止された。
息長陵
[村居田]
第30代敏達天皇の皇后息長広姫(おきながひろひめ)の御陵で約1400年以上も前のものだそうです。宮内庁の管理下にあります。
息長一族は伊吹山一帯に勢力をもった渡来系の豪族で多くの皇后を出すなど相当な力を持っていました。謎の多い一族です。この息長広姫は豪族息長真手王(おきながまておう)の娘であったとされ、天皇との間に押坂彦人大兄皇子と2皇女を儲けたとされています。(押坂彦人大兄皇子は舒明天皇の父)
・(謎の息長一族を探せ!)
継体帝と深い関係を持つとされる近江国坂田郡を拠点とする氏族と言われており謎が多く残っています。
唐突ですが、「記紀」によると、神功皇后の呼び名は後世の呼び名で、本名は息長足比売(おきながたらしひめ)命といい、父は息長宿禰、母は葛城高額媛(かつらぎたかぬかひめ)だそうです。父の息長宿禰は、九代開化天皇の四代曾孫に当たるそうです。この神宮皇后こそ「卑弥呼」だという説もあるのです・・
横にこんもりとした息長付属地がありました。どういうものなのでしょうか?遠くに、伊吹山の姿が見えます。今もこの御陵は静かな田園風景の中に存在感をもってたたずんでいます。謎の多い息長一族で、皆が行方を捜しています。
光明院
[加勢野844]
真言宗智山派の寺院です。
近江の守護をつとめた佐々木信綱の長男・佐々木重綱(大原重綱)は大原氏の祖と言われ、大原城を築城している。光明院はこの重綱が開基したもので1264年に3代の時綱が現在地に移して中興した。
寺院には円空作の木造一刀彫不動明王が安置されています。円空さんが元禄2年(1689)頃に伊吹山で修業をされたときにおよそ1ヶ月滞在されたそうで、その時に彫られたものと言います。淡海で円空さんが彫られた仏さんは非常に数が少なくて12体だそうです。
八幡神社の杉並木
[西山611]
幹回り5m以上の杉もあり、整然と並ぶ参道の杉並木は圧巻です。この杉並木は子宝に恵まれなかった秀吉が安産祈願を行った処と言われており、願いがかなって秀頼が誕生したことから、そのお礼に薩摩から杉の苗木を取り寄せて寄進したものと言う。樹齢推定400年の大木に育っています。
志賀神社のおこない
[志賀谷329]
■華之頭
華之頭(はなのとう)と呼ばれる”おこない”が2月に行われている。昔の伝承からは変わってきていると言うが、餅搗き、華造り、御幣(おんべ)挟み、神の膳などの主な伝承は残っているという。
新年祭の元の姿とも考えれれており、自然に行われてきた(五穀豊穣・無病息災を願う)農耕儀礼という。
亀屋佐京艾屋
[柏原2229]
■福助
木曽街道69次 柏原宿として描かれている安藤広重の絵に出てきます。創業は寛文元年(1661)でもぐさ一筋の専門店です。
現在は伊吹堂亀屋佐京商店として続いています。
■もぐさ屋の亀屋には「福助」という番頭さんがいたそうです。この人は正直者で創業以来の家訓を一途に守り、姿やお客さんに対する接し方も常に感謝の心をがあったと言います。又、耳たぶが異様に大きく、この人物のうわさが上方でも広まり有名になり、伏見の人形屋が服を招く縁起物として福助さんの姿を人形にすると大流行!そんなこんなで、商店の店先に福助人形が置かれるようになりました。
郷宿跡
[柏原宿]
柏原宿で現存する貴重な加藤家、郷宿とは脇本陣と旅篭屋の中間武武士や公用で旅する庄屋などの休泊に使用されてきた。





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寝物語の里
[柏原]
柏原最端に細い溝を挟んで近江と美濃の堺がある。それぞれの地に建てられた宿(近江は亀屋、美濃は両国屋)に泊った旅人が、壁越しに聞こえる声や話から、同じ人物を慕う者同士と分かり壁越しに語り合ったという話が伝わる。その人物とは、平治の乱に敗れて奥州にに下った源義朝で、慕う常陸御前と家来の江田行義(又は義経の後を追う、静御前と江田源蔵広綱)と言われている。

山室湿原
[山室]
東西凡そ90m、南北凡そ170m、周囲凡そ500mで広さが1.5haほどの小さな湿原です。今から約2.5万年前に成立したと考えられており、この山室湿原の「みつくり谷」は自然の姿で残っている貴重な場所です。現在までに発見されている植物はシダ植物が7科15種、裸子植物が3科4種、単子葉植物が8科56種、双子葉植物が44科94種だそうです。そのほか昆虫や鳥類なども色々観察されており、大切にしていかなければなりません。
グリーンパーク山東
[池下80-1]
豊かな自然と広大なスペースを生かしたアウトドア派のお気に入りスペースになっています。宿泊なども和風旅館・トレーラハウス・オートキャンプ・キャンプ場・コテージと趣味に合った方法が選べます。

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ゲンジボタル
毎年6月には、ホタルまつりやホタルパレードを行い、全町あげてホタル保護活動を展開しています。一度来てみてください。ここ山東町の天野川には、ゲンジボタルがいっぱい飛び交います。 1926年(大正15年)に滋賀県下において、守山市(当時は守山町)と山東町の天野川でゲンジボタルを守る運動が始まって以来、ホタルを取りにくる者が増え、ホタルが減少してきたので、ホタル番が始まりました。 1928年(昭和3年)には、滋賀県天然記念物に指定され、1944年(昭和19年)に文部省天然記念物に指定されました。そして、1952年(昭和27年)に文部省特別記念物に指定されました。 それ以後「鴨と蛍のまち山東町」として、ホタルが親しまれ、長岡保勝会が生まれました。1972年(昭和47年)に「山東町蛍保護条例」が制定され、保護地域を全町に広げる改正が1997年(平成9年)4月に施行されました。 現在、山東町鴨と蛍の里づくりグループ等の活動や保育園・幼稚園・小学校の学習活動も盛んに行われています。



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