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淡海の芭蕉句

行く春を近江の人と惜しみける(大津・唐崎付近にて)

淡海を詠んだ芭蕉の句、淡海で詠んだ芭蕉の句を(素人ですが)集めてみました。芭蕉はこよなく淡海が好きだったそうで、多くを過ごした東京と生誕の地三重に続き、淡海を詠んだ句が多いそうです。そのようなこともあるのでしょうか、淡海を回っていると芭蕉の句碑に何度も出会います。

ギャラリー

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淡の海道1

盃の下ゆく菊や朽木盆

*写真の盆は奥永源寺君ケ畑のミニ展示館に飾ってあるものです。

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淡の海道2

少将の尼の咄や志賀の雪

*唐崎神社境内から琵琶湖を写したものですが、芭蕉さんはどの辺りに来て、句を詠んだのでしょうか?

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淡の海道3

橘やいつの野中の郭公

*幻住庵を写しました。当時の幻住庵は写真の左前付近にあったと言います。

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淡の海道4


明月や座に美しき顔もなし

*二階から写した満月です。

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淡の海道5

梅若菜鞠子の宿のとろろ汁
*(未完成)
膳所の義仲寺、ここに芭蕉さんの遺言通り”お墓”があります。

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淡の海道6

*作業中

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淡の海道7

*作業中

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淡の海道8

*作業中

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informationお知らせ

芭蕉のプロファイルは?
松尾芭蕉は滋賀の隣県、三重(上野市赤坂町)の出身!父・松尾与左衛門は上柘植村の無足人(準武士分の上層農民、松尾氏)で、母は梅と言います。寛永21年(1644)、二男(兄のほか、姉と3人の妹がいます)として誕生し、幼名は金作、名は宗房と言いました。尚、元禄7年10月12日(1694年11月28日:新暦で)没
俳号は?
最初、実名の「宗房」を使い、「桃青」、「芭蕉(はせを)」と順次改名しています。
いつ頃から句を?
13歳の時に父が亡くなったこと、生活苦も重なったと思われることから、若くして伊賀上野の侍大将藤堂家の嗣子で2歳年上の「良忠」に仕える。共に、北村季吟の門下に入り、俳諧を志す。作成年代が判明している最古の句は寛文2年(1662)の年末に詠んだもので、「春や来し年や行きけん小晦日 (はるやこしとしやゆきけんこつごもり)」19歳の句だそうです。
■北村季吟は近江国野洲郡北村(現、野洲市)出身の歌人・俳人で元禄2年(1689)には歌学片として幕府に仕える。のち、北村家が幕府歌学方を世襲した。
いつ頃から俳諧師に?
寛文12年(1672)に処女句集(貝おほひ)を上野天満宮に奉納後、延宝3年(1675)に江戸に下り、神田上水の工事に携わって、延宝6年(1678)に宗匠となっています。
俳号「芭蕉(ばしょう)」
は何時頃から使った?
37歳の冬、居を江戸市中の小田原から江戸深川元番所森田惣左衛門御屋敷の深川草庵に移す。1681年38歳のとき草庵にある芭蕉の木がおおいに茂ったので「芭蕉庵」の庵号で呼ぶようになり、俳号として「芭蕉」を使用するようになる。
「野ざらし紀行」の旅は
何時頃?
貞享元年(1684/8)から翌年の4月にかけ母親の墓参を目的に伊賀上野に向かって、門下の千里とともに旅に出る、時に41歳。東海道を上ってお伊勢まいり、琵琶湖を眺望して「辛崎の松は花より朧にて」と詠む。4月に木曽 ・甲州路を経て芭蕉庵に帰還した。
「おくのほそ道」の旅は
何時頃?
元禄2年(1689/3/27:旧暦・新暦では5/16)に門下の「河合曾良」とともに江戸の深川を出発、旅に出る。およそ2400km、およそ半年をかけ、東北・北陸を巡りました。その年の8月に大垣に着き、いったん故郷の伊賀上野に帰着します。
芭蕉と淡海の縁は?
師が淡海の出身でもあり、色々と近江や琵琶湖のことは聞かされていたのではないでしょうか?又、門下も近江出身の人が多いようです。野ざらし紀行の途中、琵琶湖を眺望、唐崎の松や路傍に咲くスミレ草など大いに感動を得たことでしょう・・。又、「奥の細道」の旅の翌年、元禄3年(1690)4/6から、7/23までのおよそ4ヶ月間、大津市国分にある幻住庵で過ごしました。「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」の書き出しで知られる「幻住庵記」を遺しています。
翌元禄4年8/15夜、中秋の名月には、木曽塚(義仲寺:ぎちゅうじ:膳所〈ぜぜ〉)無明庵で句会が盛大に行われたそうです。芭蕉はこの義仲寺にたびたび宿泊したように、こよなくこの地が好きだったと言います。旅の途中、病に伏し大阪の地で亡くなるとき、門人に『亡骸は木曽塚に送るべし』と遺言します。その言葉通り、元禄7年(1694)10/12、芭蕉の亡骸を乗せた舟は夜のうちに伏見へ、翌13日には伏見から木曽義仲を祀る膳所の義仲寺に到着した。14日に葬儀が行われ、その夜には境内に埋葬されたということです。51歳の生涯でした。
参考にさせてもらった本
や情報
1.芭蕉名句集:山本健吉著(日本古典文庫)
2.松尾芭蕉:阿部喜三男著(吉川弘文者館)
3.俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース:学校教育教材・生涯学習教材提供サイト
4.芭蕉全句:加藤楸邨著(ちくま学芸文庫)
5.近江路の芭蕉:山村金三郎著(東京四季出版)
6.芭蕉と近江の門人たち 芭蕉没後300年記念企画展:大津市歴史博物館
7.芭蕉百名言:山下一海著(富士見書房)
■順次、調べて句を紹介させてもらいます。

■句の作成場所や時期などは研究者によっても色々です。蕉門の弟子たちによって残されている各句集にも状況の違いがあるなど難しいものですね!このページは主に「芭蕉全句:加藤楸邨著」に従っています。