淡海の芭蕉句  芭蕉句トップページへは左のタイトルをクリックしてください。  他の淡海の芭蕉句解説へ
[1] [2] [3] [4] [5] [6]
■日の道や葵傾く五月雨
五月雨が降り続いている。葵がけなげにも、一方向に傾いているのは日の通り道があるのを感じているのだろう。
五月雨
旧暦5月(新暦の6~7月)頃に降り続く長雨をいい、「五月雨(さみだれ)」とは梅雨の別名としても使います。
旧暦五月は『皐月(さつき)』と呼び、新暦でも五月の別名となっています。「さつき」は田植えをする月、「早苗月(さなへつき)」が短くなったものという。日本書紀では「五月」でさつきと呼び、「皐月」という字はその後使われ始めたそうです。
葵(訓:あおい/音:き)
この葵は「立葵(たちあおい)/漢名:蜀葵(しょっき)」を指す。ハナアオイ・ツユアオイ・カラアオイとも言われる。
アオイ科越年草で2メートル程の高さになり、紅・白・紫など多彩な柄の綺麗な花を咲かせる。原産はトルコ・ヨーロッパのビロードアオイ属の雑種と考えられている。
葵は向日性(植物の茎などが太陽光線の強い方に向かって屈曲する性質)がある。

徳川家の“葵の御紋”は「双葉葵(ふたばあおい):馬の鈴草科」の葉が三枚使われたデザインになっています。葵といえば、これかなと思っていたのが恥ずかしいです。

■草の葉を落つるより飛ぶ蛍哉
草の葉にとまる蛍がぎこちなく動いている。いまにも葉から落ちようとした瞬間、ふわっと空中に飛び出し揺らぎながら飛んでいった
「ほたる」の語源は定かではない。いくつかの説があるそうですがなるほどと思うのは・・
*「ほたり・れ(火垂)」からきた
*「ほしたる(星垂)」からきた
です。ホタルから連想する、火や星が垂れるように輝いている様は風情があって日本人の感性にぴったり来ます。尚、「螢」という字は日本書紀(720年)に出てくるそうです。
代表的な「源氏螢」と「平家螢」の由来もいくつかの説があるそうですが、源平合戦の「源氏」と「平家」からきたという説が代表でしょう!
しかし、なぜ「源氏」と「平家」なのかはよく分かりません?私たちのところは平家螢をカスボタルなどと呼びますが、これもひどい呼び名です!(でも、つい言ってしまいます)
[2]に掲載済でしたが、元禄三年の方を採用してここに再度載せました。
■蛍見や船頭酔うておぼつかな
瀬田川に螢見の舟をうかべて、明滅するおぼつかない蛍の光をみているが、船頭が酔ってしまって、この流れを漕ぐには少々おぼつかないようだ。
螢谷の螢
1767年に書かれた「東海道名所図会」に大日山から行く船のの蛍が飛び交うと云う事が書かれているそうです。また、石山寺の座主であった鷲尾光遍氏の「石山の蛍の宮」にも螢谷辺りが螢の群生する地であったと書かれているという。
近年、伏見から陀羅谷を通って大津に入り京滋バイパスをくぐって瀬田川に流れ込む千丈川にほたるの多い流域があり、ほたる見で賑わっているそうです。
おぼつかな(覚束な)
しっかりしていない。心もとない。頼りない。
はっきり見えない。という意味もあり、螢見の情景もこんな感じなのでしょうか?
鮒君:螢谷辺りから瀬田川を望み見ると、今は先にあるあらい堰が水量調節をしているためゆったりと流れているが、当時は琵琶湖から流れ出る勢いがあったのでしょう?酔った船頭では螢見の風情どころではなかったかも知れません。芭蕉さんがやきもきしている様子が浮かんでくるようです。
■合歓の木の葉越しも厭へ星の影
年に一度の逢瀬であるから、飾り付けをした合歓の木の葉越しから見られていることをも厭うて、心行くまで楽しみなさい。
合歓の木
マメ科、ネムノキ属で花は6月中から8月いっぱい咲く。花は筆先を逆さにし、先をピンクにいりつけしたようです。また、夜になると眠るように葉を閉じるので「ねむる木」から呼び名が代わってきたといわれている。
一方、漢名で「合歓木(コウカギ)」といい、男女が抱擁する様を言うが、この木にはそのようなイメージが感じられるそうです。そのため、眠の木ではなくて合歓の木なんですね。
七夕(たなばた、しちせき):古くは棚機/棚幡(たなばた)と書き表した。
節供の一つで旧暦の7月7日の夜のことです。元来は中国伝来の西王母伝説と東南アジア由来の来訪神信仰が合わさってできたものと考えられている。
日本では古来から棚機津女(たなばたつめ)信仰というものがある。水辺で神様の衣を織りながら来訪を待ち、やがて神様の精を頂き妻になるという少女の話しです。
又、日本のたなばたには“眠流し(ねむりながし)”の行事と深くかかわっているという。誰でも知っている、「ねぶた祭り」「竿灯まつり」などもそのような行事で、古来は祓えの形代を流す行事(睡魔を払う、すなわち病気などで寝込むことのないように)であったという。
地方によってはねむの木が、こうした眠流しの行事に関連しており、たなばたの竹と一緒にねむの木を添えるところがあるそうです。
他には盂蘭盆行事の要素も加わり、時代・各地方毎に変化し、今のような七夕に変わっていったという。複雑です。
■魂祭り今日も焼場の煙哉
今日は世を去った人々の魂を家に迎える魂祭りの日であるのに、新たにこの世を去った人の野辺の送りがいとなま れており、火葬場では荼毘の煙が立ちのぼっている。
魂祭り
御魂祭(みたままつり)ともいい、祖霊祭のことで精霊(しょうりょう)をまつる盆のことです。
■猪もともに吹かるる野分かな
あの猛々しいイノシシも、野を吹き荒れている野分けの中で他のものと一緒に吹きさらされているのだろう。
野分け(のわけ)、野わきとも、野分け(き)の風ともいう。
台風の古称、二百十日の頃に野の草を吹きわけるような強い風をいう。

猪(ウシ目イノシシ科)
日本には「ニホンイノシシ」と「リュウキュウイノシシ」の二種が生息しているという。
猪は縄文時代からシカと共に人間にとっては大切な狩猟対象獣でした。最近は山から田畑にまで降りてきて被害を拡大させています。その為、近くの山々の周りには柵を張り巡らせて山から出られないようにするなどの防護が施されています。環境の変化が生んだ一面です。
■白髪抜く枕の下やきりぎりす
なんとはなしに白髪を抜いていると、枕の下にキリギリスの鳴く音がきこえてきた。その音に聞き入っていたが、私もなんとはなしに、身に近づいている秋を感じる。
きりぎりす
芭蕉さんが詠んでいるきりぎりすとはコオロギの事だそうです。万葉の時代は秋の虫といえばコオロギでだったそうですよ!私の家でも秋になればコオロギの鳴き声が最初に聞こえてきます。

コオロギの漢字は「蟋蟀、蛩」とかなり難しいです。ちなみに、ご存知の通り「鳴く」と書いていますが、発する音は翅の擦り音です。中国では、「蟋蟀」の「蟋(しっ)」も「蟀(しゅつ)」も翅を摩擦する擬声語だそうです。
■こちら向け我もさびしき秋の暮れ
秋の暮の物寂しい折、この画のあるじはいつも背を向けている。私もさびしい秋の暮だからこちらを向いてくれないか。
画のあるじ?
賛 雲竹自画像という。雲竹は「北向雲竹」で、京都東寺観智院の僧、江戸時代前期の大師流の書家であった。和歌、俳諧、篆刻(てんこく)ならびに墨竹画も描いたという、芭蕉が書を習った師である。
大師流
書で高名な大師ということで、弘法大師空海を祖とする和様書道の一流派。江戸初期頃に大師流と言われるようになった。
空海の書に基礎を置き、装飾性の強い書をさらに強調する特色があるという。
あちら向きの画のあるじに、語りかける芭蕉の姿はわびしさと共に不思議なゆとりを感じるという。 賛(讃)=画賛とは山水画や禅画などの画の余白に書き添えた詩や文章をいいほめたたえた言葉です。
■月代や膝に手を置く宵の宿
今や月が出ようとして東の空がほの白く見える。今宵の席に集うみんなはきちんと膝の上に手を置いて、月の出を静かに待っている。
芭蕉の実戦的指導法:正秀亭での連句興行に参加した去来とのエピソード!
芭蕉の実戦的な指導法には大きく二つの要素があるという、その一つがこのエピソードで、俳諧の連句を運ぶ“さばき手”としての宗匠が持つ企画力・演出力が会を盛り上げる大きな要素になるという。ここに芭蕉の気合いの激しさが現れる。去来が芭蕉に連れられて正秀亭の興行に参加したとき、正客としての心構えを欠き、即効の詠みをすべきところ躊躇してタイミングをずらしたり、亭主である正秀の詠んだはげしい空模様の脇句(二つにわれし雲の秋風)に緩やかな第三の句(竹格子影もまばらに月澄みて)をつけて座を白けさせたりしたことで厳しい叱責を夜すがら受けたという。
月代(つきしろ;月白)とは?
月がまさに出ようとして東の空が白んだように見える様を言う。
「正秀亭初回興行」:このメンバーでの発句会で正秀への礼をこめた参列者の姿勢から「初回興行」の改まった雰囲気が漂う。 余談ですが・・・
月代(さかやき)[別名:つきしろ]
平安末期から江戸時代の男子の髪型で、額から頭頂部にかけて半月形にそり落とした(または抜いた)もの。
鮒くん: お願::本ホームページ情報で不都合と判断されたところはご連絡をお願いします。削除或いは訂正をさせて頂きます。又,本ホームページ全ての情報は皆様ご自身の責任下でご判断/ご使用ください。当管理者は一切の責任を負いません。Copyright koi-funa-ayu2002-2020  All Rights Reserved