淡海の芭蕉句  芭蕉句トップページへは左のタイトルをクリックしてください。  他の淡海の芭蕉句解説へ
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■行く春を近江の人と惜しみける
ここ唐崎の琵琶湖畔に近江を愛し、近江に住む人々と共に奥深く霞む琵琶湖を眺めながら、行ってしまう春をおしみ合っている

「猿蓑」には
望湖水惜春
「行春を近江の人とおしミける」とある。

唐崎神社から琵琶湖を望む

唐崎の一本松
唐崎・韓崎・辛崎・可楽崎とも書かれます。
「万葉集」にも表れる大津京時代からの地名です。

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■君や蝶我や荘子が夢心
あなたが蝶なのか私が荘子なのか、このような夢心地の中では相離れていてもこのように心はお互いに通じているでしょう。
怒誰(どすい)宛ての謝辞を伝える書簡の中にある句。 怒誰という人は本名高橋喜兵衛といい、スポンサーである菅沼曲水の弟です。曲水が東京などへ出向き留守の時に代わって芭蕉の世話をした。怒誰は『荘子』に造詣が深く、芭蕉とも色々と意見の交換をしたのだろう!
荘子の思想を表す『胡蝶の舞』の蝶と荘子からきている。
荘周が夢を見ていて、蝶として楽しい時を過ごし夢が覚めた。自分が夢を見て蝶になったのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか・・」蝶と荘周は一体なのです。

この蝶はあなたですか?
荘子(そうし):姓は荘、名は周(推定、紀元前369年〜紀元前286年頃)、荘子(そうじ)は荘周の書をあらわす。
■中国宋国の時代に生まれた思想家で“荘子思想の基本は『無為自然』『一切斉同』”で人為を嫌うとされる。又、道教の始祖の一人とも言われている。
■曙はまだ紫にほととぎす
瀬田に泊って、曙、石山寺に詣でた。紫式部が源氏物語を書いたというあの間を拝観していると、この曙はまだ春の気配をとどめて紫がかっているけれど、折しも時鳥(ほととぎす)が鳴き過ぎる声が聞こえた。
句の紫ってどんな色?・・『古代紫』で薄赤みを帯びた紫(RGB:137/91/138)
時鳥は5月中旬頃日本に飛来する渡り鳥で、他の鳥よりも遅い特徴がある。それは、毛虫などを食べるため早春だと虫がいないことや托卵の為、鶯など他の鳥が繁殖する時期に合わせるためという。
「曙はまだ紫に」は枕草子「春は曙・・紫だちたる雲の細くたなびきたる」の感が心にあるのでしょう。又、この句の初案と思われる「曙やまだ朔日(ついたち)にほととぎす」があり、四月一日と考えられる。
この句の「ほととぎす」(夏季の鳥)が鳴きすぎる声は少々早すぎ、現実的ではないとされている・・。芭蕉の古典的な世界での情景なんですね。

石山寺山門前
■独り尼藁屋すげなし白躑躅
尼が独りで住む藁やがある。何かもの寂しく、庭に咲く白く清らかなつつじもとりつきがたい感じがする。
この句の背景や事情はよく解らないそうです。
専門家によれば、この句は区切りもぎこちなくて熟した句ではないそうです。
私はそんな風には思えないのですが、どこがぎこちないのでしょうか?
■夏草に富貴を飾れ蛇の衣
庵の周りは夏草が大いに茂り、その中に蛇の抜け殻をみつけることが出来る。そんな抜け殻も一面の夏草の中にあっては結構な飾り物にみえる。
今でも、幻住庵への登り道はじめじめした感じが残り、蛇やムカデの好きそうなところと解ります。
■夏草や我先達ちて蛇狩らん
幻住庵に訪ねて来られたら、一面の夏草の中で蛇を狩り、草を分けてご案内します。
幻住庵紹介
■橘やいつの野中の郭公
橘の花の香りがする、ほととぎすが鳴きながら飛んでいった。この香りの中にいると、ほととぎすの鳴き声を何時か何処かの野中で聞いたような懐かしい感覚が蘇ってくる。
この句は芭蕉作品中でも『最上級』だそうです。『橘』や『野中』といった言葉が「古今集」にうたわれた歌を連想させ、古典的背景が浮かんでくるとともに実体験を通じて詠まれている現実とをうまく溶け合わせた素晴らしい句・・・と言われます。
(詠み人知らずのその古今集とは・・)
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
いにしえの野中の清水ぬるけれどもとの心を知る人ぞ汲む
『橘(たちばな)』の「たち」は「顕(た)ちくる」の「たち」という、「顕ち」は“見えなかったものがだんだん見えるようになる、現れてくる”という意味。短歌の中で使われる言葉のようですが、使う言葉では「顕在化」があるので、意味はなんとなく解りそうですが、読みが難しい!
それはそれとして、『橘』は懐かしく思い出される情、特に昔の恋人を想う心情に関連して使われるようです。
“たちばな”はミカン科ミカン属の常緑樹で、2m〜4m程度の木です。
2012年正月 新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
■先づ頼む椎の木もあり夏木立
今までに、色々と心に迷いを持ったこともあるが、俳諧の道を一筋に歩んできた。しばらく、この幻住庵に身を寄せようと立ち寄ってみると、夏木立をなす大きな椎の木が庵を包んでいる。ともかくも、わが身をやすめるにふさわしい。
椎の木
ツブラジイ(コジイ)とその変種スダジイ(イタジイ)の総称で、シイノキ、シイガシ【椎樫】とも呼ばれます。分布はツブラジイが本州中部から以西、四国・九州あたりで、スダジイは福島、新潟辺りまでと広く生育している。特にスダジイは海岸付近に多く、うっそうとした大木になります。
5月〜6月に(栗のような)香りの強い雌雄別々の花序をつける。実はいわゆるどんぐり型。実は食用とし、ツブラジイの実は美味だそうです。

後ろに椎の木の根本が写っています。
二代目だそうですよ!
夏木立
暑い夏の日差しを遮って立つ、生い茂った木立を言う。
「冬木立」は冬木の立ち並んでいる、冬枯れの木々を言う。
「春木立」は春の落葉した木々を言う。
では、「秋木立」は・・・言わないようです。

本当の幻住庵が建っていた位置
この辺りから上の碑を写しています。
■頓て死ぬけしきは見えず蝉の声
夏の日、力いっぱい鳴いている蝉の声を聞いていると、このセミがすぐに死んでしまうとは信じられない。


この句の背景にある「無常迅速」の観念って?
禅宗の修行道場にある木版に書かれている「
無常迅速の偈」・・・
■『生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸 (しょうじじだい むじょうじんそく かくぎせいかく しんもつほういつ)」
【人の世の移り変わりは速く、はかなく過ぎて行ってしまう。各々がこのことをよく知って、仏の道に精進し、ぼやぼやして過ごさないようにしよう。】
2011年の夏は暑かった。セミの声は、(近所の公園では)いつもの年より少ないように感じましたが私の近所だけのことでしょうか?一方、今年の夏、素数ゼミ(周期ゼミ)のことを初めて知りました。13年ゼミ・17年ゼミといわれ、13年あるいは17年毎に大発生するセミです。そのような変わった生体のセミが日本にいたら、この句はどのように変化したのでしょうか?
■夕にも朝にもつかず瓜の花
瓜の花が朝顔のように朝でもなく、夕顔のように夕方でもなく、どっちつかずで咲いているのは何か落ち着かない。
瓜の花:
白い5弁の花びらの周囲に白いレースのようなひも状のようなものがのびる。私は少々グロテスクな感じで日本的ではないように見える。
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